神戸の5人殺傷事件に思う

こんなこと書いちゃいけないのかもしれないけど

神戸の5人殺傷事件、

犯人に思いを寄せるところがある。

 

 

実は、私も思ったことがある。

 

 

誰でもいいから、

道行く人を次々刺して

町に火をつけたらどんなにすっきりするだろう、と。

 

 

何度も何度もそう思った。

 

 

いまだに思うことすらある。

 

 

もちろん実行することはないが。

 

 

そういう気持ちになるのは母の言葉を思い出すときだ。

 

 

「あんたは何してもつまらん」

「いいところなんか一つもない」

「あんたのすることは全部でたらめ」

「勉強だけできてもつまらん」

「運動も、家のことも、何もかもできんとつまらん」

「宿題だけじゃなくて予習も復習も部屋の片付けも全部済むまで遊ぶな」

 

 

何年間も毎日のように繰り返される言葉。

 

 

幼稚園の頃には生まれてきたことを後悔していたから

たぶん覚えていないだけで

幼児の頃から言われ続けていたのだろう。

 

 

思い出すとどうしようもない怒りがこみ上げる。

 

 

そうかといって母は立派な人ではない。

 

 

「めんどくさい」が口癖で

朝ごはんはつくらないし

掃除はろくにしないし

洗濯物はためこむし

夕食後の食器は22時間汚水につけっぱなしだ。

 

 

小学校で朝ごはんに何を食べたか聞かれて

「食べてない」といったか

「菓子パン」と答えたかで

先生から母に注意があったらしく

とんでもなく怒られたことがある。

 

 

それ以来、先生から質問されたら

注意深く先生の顔色をうかがって

先生が納得することをいうように気をつけた。

 

 

先生は

「メロンパン」や「ジャムパン」など

菓子パンだと怖い顔をするが

「食パン」といえば

ふんふんという顔をする。

 

 

しかし、まだ先生は物足りない顔をする。

 

 

そこで、思い出したように、

「それと、牛乳」と

飲んでもいない牛乳を付け足すと

先生はにっこりし、

それ以降、朝ごはんのことを聞かれることがなくなって

肩の荷が下りた思いだった。

 

 

母は、

私が宿題をしていないのに

「もう済んだ」などとうそをつくと

 

 

「どうしてそんな嘘をつくのか」

「嘘つきは泥棒だ」

「泥棒は家にいらん。警察に行け」

 

と怒鳴り散らした挙句

 

「今からこんな嘘つきで先が思いやられる」

「あんたはろくな大人にならん」

「末恐ろしい」

 

などと泣きわめく。

 

 

かといって、

「まだ済んでない」と正直に言おうものなら

 

「毎日注意しているのにどうして早くしないのか」

「本当にあんたはつまらん」

「情けない」

「ロクな人間にならん」

「将来あんたに務まる仕事なんかない」

 

などと、どう転んでも30分以上罵倒してくるのだ。

 

 

小学生の頃の私の頭の中は

毎日、

どうしたら母親の怒鳴り声を聞かずに済むか

そればかりで頭がいっぱいだった。

 

 

小学4年生の頃には早く死にたいと思っていた。

 

 

私が中学生の頃は

「3年B組金八先生」や「積み木崩し」などが

流行っていたが

自分の気持ちを表に出すことができる人がうらやましかった。

 

 

私もバットを振り回して暴れてやりたかった。

 

 

私の母は、人の言うことに一切耳を貸さない。

 

 

なにか母に口答えしようものなら

何倍にもなって返ってくる。

 

 

とくに母の欠点にほんの少しでも触れようものなら

鬼の形相がいっそうすさまじいものになる。

 

 

「親に向かってなにをいうか」

と気が狂ったように怒鳴り散らす。

 

 

 

近所の人に注意されてもお構いなしだ。

 

 

むしろ、余計に私たち子供に当たり散らすようになるので

近所の人たちもあきらめた。

 

 

けれども外面は非常にいい。

 

 

ちょっとした知り合いは

母のことを愛想がよくていい人だと思う。

 

 

それはそうだ。

 

 

母は、世間からよく思われたい、

世間のみんなからいい人だと思われたい

そう思っているから。

 

 

母にとって家族とは

自分が世間からよく思われるための道具でしかない。

 

 

母にとって家族とは

一緒に助け合って

楽しい思い出をつくる仲間ではない。

 

 

そう確信したのは最近のことだ。

 

 

母が自分の言動を

昔のことだけではなく

最近のことでも

自分の醜態についてはなにも記憶がないと

わかってからだ。

 

 

記憶がない、というより

自覚がない。

 

 

今、自分が大声でわめいていることに

自分で気づいていない。

 

 

だから、あんなにも

家族のことを責めることができるのだ。

 

 

心が死ぬような暴言を浴びせられて

こちらが無表情でいると

「なんか、その顔は」

「人の話を聞いていない」と怒る。

 

 

でも、なぜ、どんなに怒られても無表情でいるかというと

泣くと

「泣いてすむなら警察はいらんのや」

「泣くのがいちばんつまらんのや」

と、さらに暴言を浴びせられるからだ。

 

 

だから、必死に無表情を装う。

 

 

けれども母は、泣かさないと気が済まない。

 

 

「人の話を無視するんか」

「お母さんをばかにしちょんのやろ」

「耳が聞こえんのか」

 

 

などなど子供が泣くまで容赦しない。

 

 

泣いたら泣いたでまた怒る。

 

 

そうやって1時間ほど怒鳴り散らされたあと

暗い部屋の隅で声をださないように泣き続け、

ようやく涙が枯れたころ

再び母が現れて怒鳴る。

 

 

「まだ泣いてるのか」

「泣くのがいちばんつまらん、ち、いうのが、わからんのか」

「泣くばっかりで宿題もしてねえやねえか」

「ほんとにあんたはつまらんわ」

「あんたなんか産まなよかった」

 

 

無間地獄だ。

 

 

けれど、愛想のいい母しか知らない

学校の先生などは

「お母さんは明るい人なのに

 娘さんはどうして人見知りするんかな」

くらいにしか思っていない。

 

 

そして、何より、

母自身が40年以上も

本気でそう思っていたことを知って

この2年間はこちらが怒り狂っていた。

 

 

たまたま私は鮮明に子供の頃のことを思い出したが

親も子供も覚えていない、

ということもあるのかもしれない。

 

 

私も、妹が覚えているのか

まだ確認はしていない。

 

 

妹が、ゴミ屋敷のようなアパートの1室で

突然、赤ん坊を産み落としたときに

妹も心に深い傷を負っているのだと確信したが

母は、どうしてそんなことになったのか

まったく理解不能だったようだ。

 

 

自分が

「あんたたちに務まる仕事なんかない」

「嫁さんなんか行かれるもんか」

と怒鳴り散らしていたことなど

つゆ覚えていない。

 

 

それどころか

大声を出していたことすら記憶にない。

 

 

たぶん、人格障害なのだろう。

 

 

神戸の5人殺傷事件の背景になにがあるのか

知る由もないが

同じような事件が将来起きないようにするためにも

家庭環境が明らかにされることを願う。